【高田はわよ先生とレイキの出会い】

前回の臼井靈氣療法学会と日本人の価値観からの続きです。
戦後のGHQによる政策で日本国内でのレイキの活動が積極的にはできなくなり、レイキが急速に国内で下火になり忘れ去られていきます。

そんな国内状況の中、日系人でハワイ生まれの高田はわよ(たかたはわよ)先生によってレイキが世界に広まることになります。

高田先生はご自身が重い疾患になり、日本で療養・手術を受けるために一時帰国しました。
それが1935年のこと。第二次世界大戦の前です。

しかし、手術台に上がったとき、「手術は必要ない」という誰かの声が聞こえ、ほかの治療法を探すことにしました。
たまたまその時の主治医が理解のある人だったのでしょう。
その主治医の紹介で信濃町に靈氣治療所を開いている林忠次郎(はやしちゅうじろう)先生の元へ通うことになりました。

その後高田先生は林先生の治療所でレイキの治療を数ヶ月受け、病気から奇跡的に回復しました。

高田先生はレイキの素晴らしさに感動し、ご自身もレイキを学びたいと林先生のところに弟子入り。
約1年間学び、その後ハワイへ帰国しました。

その後、高田先生は林先生をハワイに招聘してセミナーを開催したり、ご自身もハワイでレイキ治療所を開いて治療を行ったりしました。
高田先生がレイキ師範を得たのが1938年と言われています。

しかし、1941年には真珠湾攻撃があり、日米開戦。
ハワイの日系人が収容されてしまうなど、高田先生ご自身は収容は免れたものの、日本人である上にレイキの活動をするには大変だったことが容易に想像されます。

そして戦後、高田先生は日本のレイキとは違う形でレイキの活動をされます。
これが現在日本に逆輸入された「西洋レイキ」として、日本だけでなく世界に広まることになったのです。

次回は少しもどって、林忠次郎先生について書きたいと思います。